top of page
検索
  • 執筆者の写真HARUE KAWAGUCHI

【 看取り 】




私をこの世に産み落としてくれた

母が亡くなりました・・・💦



入居中の老人施設から

「ゼリーしか食べられなくなっている」と驚愕の連絡頂いたのが7月半ば、、、

コロナ禍のせいで、、、

見舞いもできなくなって半年以上。


このままでは

親の死に目に

立ち会うことすらできない!



「自宅での看取りなんて無理では?」と危惧し、反対する姉弟を


゛介護福祉士だった私が引き受ける”と説得して、、、

大慌てで在宅のケアマネさんと契約し諸々相談の上、 母が自宅に帰ったのが7月21日。


既に発語はなかった、、、

けれど、我が子である我々3人をシッカリ認識してくれて~♪

直ぐにトロトロ寝入ってしまったものの・・・ 目を開ける度に、自分で設計して建てたリビングを

キョロキョロ確認するように見回しては眠るを繰返していました。



折しもオリンピック開催の特別連休で、

翌日から私の娘家族・息子、姉の息子達や家族たちの訪問を、

多分耳で認識してくれていたね、、、



私たちは幸せだったけど、喜んでいてくれたかなぁ~~ママ~~?









最期の応答は、夜7時、痰詰まりで苦しそうだった母に 「吸引するよ!」と声かけすると、、、 少し嫌そうに眉を顰めたものの、・・・(私は吸引下手くそだったね!)、 その時はとても上手に引けて、呼吸がかなり楽に~♬・・・ 「楽になった?」と尋ねると、ウンと大きくうなづき安心したように入眠。 それっきり、翌日付替わって以降、 ドンドン反応が薄くなって、 深夜二時過ぎから手を握り返してくれる反応も失って、、、 約一日半だった。

7/24(土) 19:54 静かに呼吸停止した後、 聴診器で辛うじて拾えていた心音もゆっくりと停まり、 眠るように他界・・・                    享年90歳9か月。。。



自宅で子ども三人に見守られ、

多少酸素補助はしたけど、一切の管につながれることなく、、、


勿論ビックリするほど痩せていきましたが、

身体中の水分が抜けて、まさに枯れ木になって、、、


何より全く苦しむことなくの老衰死に、

ドクターから「お見事でしたね!」のお言葉を頂戴した母の死は、

いずれ逝く、私たち姉弟の憧れとなる・かくあるべしの見本の逝き様になりました!


本当にありがとう、ママ

自らの才覚一代で、会社を立上げ経営し、

何度か買い替え立て替えた自宅含めて、

いくつものアパートや別荘などの資産も手に入れた人生。

ちょっとやそっとの男性でも叶わないほどのグレートな人生で、

爪の垢を煎じ薬に残して貰って置けば良かった~(笑)、と思う程・・・ 姉私弟の三人兄弟には無さそうだけど、 孫やひ孫の誰かにその才は引き継いで残されてるのかなぁ~

斎場が激混みで、葬儀が8/1になり、 冷蔵保管されることになり搬送されると、、、 今までだって脳拘束で倒れて入院してから二年間もいなかったけれど、

なんだろう・・・ 全く室内の空気が変わってしまった。




初七日も含めての葬儀手筈が全て整い、 姉とひとしきり部屋を片付けててから自宅へ帰宅、 ホッとした途端、涙がとまらなくなった・・・


母の最期の日々のことをご存知の何人かの友人が、

祈ってくれていたことに、心から感謝します。 私の願いも、どうか苦しむことなく 静かにあちらへ旅立てますように・・・だったので、、、

お陰様でその通りになったことが本当に有り難かったです ありがとうございました~💖



写真1・・・、辛うじて面会ができた昨夏の母。    家族に毎日逢えなくなった途端、認知症を発症していた!     もっとキリッとしていた人だったのに、、、    頬にはマスクのゴム跡が・・・(笑)

写真2・・・、今回の帰宅直後、最期のツーショット! 

   まだ手の握り返しがあったころ…

閲覧数:8回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page